2018年02月28日
2月28日の記事
有盛神社の鳥居前には、力石があります!先人の話によれば、有盛の家来に「ウディモリ」という武将がいて大変な力持ちで持ち上げたとのことです。この石にあやかって、浦上からは相撲取りが多かったそうです!
江戸後期には「西郷隆盛」が竜郷から瀬戸内へ行くときに、休んで腰掛けたとも伝承されています。
触ると、相撲が強くなるかもしれませんね?

江戸後期には「西郷隆盛」が竜郷から瀬戸内へ行くときに、休んで腰掛けたとも伝承されています。
触ると、相撲が強くなるかもしれませんね?

Posted by bukibuki at
17:54
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2018年02月27日
2018年02月17日
2018年02月16日
平有盛の墓
平 有盛(たいら の ありもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平重盛の四男。母は正室の藤原経子。
異母兄の資盛に従い、三草山の戦いに参戦。源義経に敗れた後は、屋島の平家本陣に落ち延びた。最後は壇ノ浦の戦いにおいて、資盛、従兄の行盛と三名で手を取り合い、海中に身を投じた。享年22。
奄美群島には資盛、行盛、有盛が落ち延びたという平家の落人伝説がある。行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社が祀られ、特に平安文化が融合した諸鈍シバヤは重要無形民俗文化財に指定されている。
また、香川県観音寺市大野原町五郷有木に、平有盛が有木と名を変えて暮らしていた平家落人村があったことが、生駒記「新編丸亀市史4資料編:平成六年刊行」に記載されており、太刀や木造阿弥陀如来座像も残されている。

浦上有盛神社の墓
異母兄の資盛に従い、三草山の戦いに参戦。源義経に敗れた後は、屋島の平家本陣に落ち延びた。最後は壇ノ浦の戦いにおいて、資盛、従兄の行盛と三名で手を取り合い、海中に身を投じた。享年22。
奄美群島には資盛、行盛、有盛が落ち延びたという平家の落人伝説がある。行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社が祀られ、特に平安文化が融合した諸鈍シバヤは重要無形民俗文化財に指定されている。
また、香川県観音寺市大野原町五郷有木に、平有盛が有木と名を変えて暮らしていた平家落人村があったことが、生駒記「新編丸亀市史4資料編:平成六年刊行」に記載されており、太刀や木造阿弥陀如来座像も残されている。

浦上有盛神社の墓
2018年02月16日
2018年02月06日
椎の古木朽ちる
有森神社のウンテラ(上寺)の墓を通り越して進むと、山城跡の堀切が2カ所あります。
まず最初の堀切にあった数百年と思われる大木のシイノキですが、ずいぶん前に枯れて朽ちている。
3年前には、カラスバトが子育てをしていた!
もうしばらくで、すべてが朽ち果ててなくなると思う。

まず最初の堀切にあった数百年と思われる大木のシイノキですが、ずいぶん前に枯れて朽ちている。
3年前には、カラスバトが子育てをしていた!
もうしばらくで、すべてが朽ち果ててなくなると思う。
